多問題家族とは?

多問題、多問題家族。

その言葉通り、問題が多いこと。複数の問題を抱える家族のこと。

「格差・貧困」「疾病・障害」「虐待」「孤独死」。

これらは、家族ひいては社会の中で起きていること。

「アダルトチルドレン」「毒親」「共依存」「機能不全家族」なんて言葉を耳にしたことありませんか?

◆多問題家族・・・終わりの始まり?

家族内の問題(課題)が複数あってうまく機能していないこと。

家庭の事情は、10の家族があれば10の事情があると思います。

人がオギャーと生まれ、進学し、成人し、就職・独立を果たし、結婚して新しい家庭を築き、またオギャーと子供が生まれてというライフサイクルの中で、めでたいことばかりではありません。

  • 希望する企業に就職できなかった。
  • 結婚相手が中々見つからない。
  • 転職に失敗した。
  • 配偶者が不倫して離婚した。
  • 子供に障害が見つかった。
  • 学校でいじめられた。

などなど、普通に生きる中にも色んな出来事が起こります。

日々の営みは続き「幸せな毎日」ばかりではなく、「困りごと」「辛いこと」が起こることもあります。

一人で解決するのが難しい課題にぶち当たった時、皆さんはどうしていますか?

本当に困ったときに、相談できる人いますか?

やっぱり「親兄弟」?それとも「パートナー」や「友達」?

人の一生の中で起こる良いことも悪いことも、共に受け止め考え助け合う。

そんな理想(幻想?)の家族を求めて、人は家庭を持つのかもしれません。

でもさ、夫婦って他人ですよね。

育った環境も価値観も違う男女が、惹かれあってツガイになり家庭を作っていく。

その過程で、お互いの違いを認め合い歩み寄る。

これって、中々難しいことです。

さらに、子供を産み育てる間にも色んな出来事が起こり、良くも悪くも相手やその家族の意外な面が見えてきたりします。

お互いを独立した一人の人として理解しあい受け入れる。

夫婦・家族の中で起こる良いことも悪いことも、泣き笑い、時には反発しながらも助け合い一緒に乗り越える努力をする。

その過程を経て絆が深まり「家族になっていく」のではないでしょうか

人間力試されるね、ほんと。

こんなドえらいこと、出来てる夫婦・家族、おるん?

まあ、できている人は、多問題家族になりにくいのでほっときます。

かたちの上では家族でも、絆もヘッタクレもない家庭も存在します。

「ワンオペ」なんて一方的に負担が偏るような関係性、いつまでも誰かの子供のまま大人になり切れない配偶者、子供のため言いながら自分のための過干渉を続ける親、見えない瑕疵で歪んでいる家族。

そんな家族に、生活上の負荷がかかるとどうなるのか。

貧困や疾病・障害、介護に不登校や引きこもり、アルコールや薬物依存、DVや虐待(ネグレクトも)等など、家族に降りかかる問題は多岐に渡ります。

どれか一つでも発生したら、解決するの大変なのに・・・。

気づいた時にはにっちもさっちも行かない状況に・・・

家族の終わりが始まっているのかもしれません。

◆多問題家族になるリスクは誰にでもある。

昔愛読していた漫画に「金がないのは首がないのと一緒」というセリフがありました。

高齢者介護の仕事をしていた天馬は、折に触れこの言葉をかみしめてきました。

ぶっちゃけ、お金や家を持っている高齢者は悠々自適で生活しています。

加齢はどうにもできないけど、加齢に伴う日々の問題は大体がお金で解決できるし、解決のための選択肢も多いです。

子供や親族がいなくても、成年後見制度を使えばある程度の身元保証や金銭管理をゆだねることもできます。

でも、年金少ない、貯金もあまりない、生命保険も入ってないようなお年寄りは大変です。

公営住宅に入れていればまだまし。

足腰が弱って自分で買い物や病院に行くことができないけど、タクシー代やヘルパー費用が惜しくて閉じこもっている人沢山います。

あまつさえ、ひきこもりの子供(大人ですけどね)を抱えている高齢者もいます。

→「8050問題」:一つの家庭に80代の親と50代の子供(無職・低所得)が同居していて、親の年金で生活している。親が介護が必要になったときに虐待発生リスクが高い)

こんなケースだと、貧困、疾病、引きこもりががっちりスクラムを組んで、まあ大変!

年寄の話を例にあげましたが、働き盛りの家庭でだってお金の問題はついて回ります。

例えば、今の物価高。

毎月の収入は変わらないのに、生活に必要な物品や公共料金まで続々値上がりしていく。

本業で賃金アップしないなら、副業する?

副業が無理なら、節約?

外食をやめてお弁当、理美容をセルフに、子供の習い事を減らす・辞める、もちろん家族旅行も省エネで。

お金が入ってこない、出ていくばかりなら生活のアチコチを削らざるを得ない。

それでも、家族が毎日楽しく過ごせているのなら良いのです。

日々、ご飯が食べられて、温かいお風呂に入って、家族みんなが無事に眠りに就くことができる。

こんな当たり前のことを幸せに思える。

そんな家族なら多少の生活課題があったって、知恵と工夫と感謝で解決できるでしょう。

しかし、幸せの国『ブータン共和国』でさえ、グローバル化により他の国の生活水準に気づいてしまったことから、国民の(感じる)幸福度が下がってるそうな。

日々の生活水準を維持するのにカツカツ、もしくは不満を抱えてギリギリの生活をしている家庭に、さらなるアクシデントが起こったら?

働き手が病気になったり、勤め先が倒産したら?

離婚してシングル親家庭になったら?

親に介護が必要になったら?

こんな状況で、心の余裕を保ち平穏な生活を続けられる?

そんな人がいたら、マジ神。尊敬しちゃう。

でも、人は弱い生き物ですから。

ダークサイドに落ちないように必死で生活している人も沢山いるのではないかと思います。

今の世の中、誰しも多問題家族になるリスクを抱えているのかも。

◆多問題家族の問題とは?

多問題家族の何が問題なのか。

天馬はこう考えます。

①表に出にくい。

家族のことは家族で。

身内の恥をさらすようなことは避けたい。

家庭内でストレスを抱えていても第三者に相談しづらい、というのが最初の壁かと思います。

家族の誰かが気がついて一緒に解決に向けて向き合ってくれるのが一番ありがたい。

でも、核家族化が進み夫婦間の葛藤や子育ての大変さを家庭内で共有しづらい状況になると、さらにそれを誰かに相談するのは中々難しい。

頑張って相談しても、相手によっては「夫婦なんてそんなもんよ」とか「子供が大きくなったらいい思い出よ〜」なんて慰めなんだか、いい愚痴仲間増えた〜ぐらいな言葉しか返ってこなかったり…

本当は、問題が深くなる前に第三者に相談できてるとよいのですが・・・。

公的機関は縦割りが基本なので、家族を丸っとフォローできる部署は無いに等しい。

解決の糸口がつかめないままDVや虐待に発展したり、離婚してシングル親家庭になり経済的に困窮するなど二次被害が起こることも。

②それって人権侵害・・・

当事者が自分の人権が侵害されてること、家族の人権を侵害しているかもしれないということに気づいてない。

そもそも、人権ってなんだろう。

「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」

これは、国際連合が昭和23年に世界人権宣言として発した定義であります。

日本国憲法の中では、法の下の平等と思想信条の自由、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利等などを基本的人権として守られるべきと挙げています。

※NHKの今年の朝ドラ「虎と翼」にすっかり感化されてる今日この頃。

「あまちゃん」以来久しぶりに毎日見てた!(笑)

例えば、夫婦間の課題。

専業主婦・兼業主婦、イクメン、ワンオペ育児。

天馬はこの言葉にモヤっとします。


〇家事・育児は女性の仕事、できて当たり前?
  →産むことは女性しかできないけど、育てることは男性でもできる。
〇身の回りのことや家事をするのは、男女関係ないのでは?
  →親や社会が「女の子だから」「男の子だから」と性差をつけて育ててないですか?
〇結婚、子供産んでないと一人前じゃない!
  →自分の稼ぎで生活して税金払ってたら、充分一人前。それ以上でもそれ以下でもない。
〇女性の方が稼ぎ少ないから、家事育児分担多めで当たり前?
 →稼ぎの多い女性を妻に持ったら、男性もワンオペ育児するのかな。出産育児でキャリアが中断したり就労時間が減るから、収入や昇進で差がつくんじゃないのかい。
〇男が子供のことで休んだり早退するのはいかがなものか?
 →子供が小さい頃は、熱だケガだと保育園からお呼び出しが頻繁にかかる。
  忙しい時期でも早退・休みをもらうのはありがたいが、圧倒的に「ママ対応」。早退欠席に纏わる 
  「子あり」「子なし」女性双方の反目も。
〇男性は仕事して稼いでナンボ・・・
→勤労の権利は国民皆のもの。稼げない男性は人間じゃないのか?

うーん、こうやって書いてみると女も男も大変やな。

会社は「公の器」。個々の社員の業務遂行能力の把握はもちろんのこと、家庭事情等も勘案して全ての社員が「働きやすい環境」を作るのは上司の仕事。

でも、こんな昭和的?な価値観はまだまだ根強くて。

知らず知らずのうちに、こういった価値観で大事な家族を追い詰めてしまったことありませんか?

いや、うちは大丈夫。

それ、ホント?

一つひとつは、ほんの小さいことかもしれないけど、家庭内にだって差別や偏見、経済格差があるものです。

日々の忙しさや自覚の無さから、解決のためのコミュニケーションを取らないでいると、間違いなく相手の愛情は枯渇します。

残るのは、執着や共依存といった感情。

「私がいないと」「あなたのため」という美辞麗句でモラハラまっしぐらです。

親子間も然り。

天馬を例に挙げてみます。

オイラは親からこのように言われて育ちました~。

〇お前はどうしてこんなことができないんだ!
  →だって、子供だもん。自分が子供の頃、そんなに出来てたんかい?
〇産んでやったのに!育てた養育費返せ!
  →頼んでません。親が勝手に励んだ結果やろ!コストは親持ちでヨロ。
〇子供は親のいうこと聞いてればいい。間違いない。
  →子供と言えど別の人格でーす

やれやれ・・・。

事業失敗して、病気になって、カルト宗教にハマっているくせに!どの口が言う~。

子供の時に、こんな反論できてたらなあ・・・

まぁ、できなかったので家出したんすけどね(笑)

もとい。

家族の中で、しらずしらずのうちに相手を貶めている。

貶められている方も、自尊心を否定されているうちに依存的になってしまい、自分の人格や尊厳が守られていないことに気が付かない。

気が付かないからSOSを出すこともなく、小さなことが積もり積もって・・・

気がついたら、モラハラ認定、家庭崩壊、寂しい老後が待ってるかも。

③より弱い者への被害、連鎖

表に出にくく、当事者に自覚がない…

さて、多問題家族のリスクを放置するとどうなるか。

児童虐待で通報があって児童相談所や行政が介入していたにも関わらず、結局非虐待児童がなくなる悲しいケースがあります。

専門家が関わっていて、小さい命を守れなかったのかと支援者が非難されることも多い。

こういうケースは、虐待者(親・保護者)自身が虐待(ネグレクト含む)されてきたり、貧困や発達障害等の生きづらさをフォローされてこなかったことが多いです。

一時分離により虐待者の態度が改善されたように見えるのは、虐待者自身の課題が1個減ったことで少し楽になったからで、被虐待者が家に戻ることで虐待者にかかる負荷も戻ることが往々にしてあります。

虐待者自身の問題が解消・癒されていないと、結局は振り出しに戻るもしくはさらに状況が悪化し、悲しい事件が繰り返されるのです。

「弱い者たちが夕暮れさらに弱いものをたたく」(THE BURE HEARTS「TRAINーTRAIN」)

すばり、これだと天馬は思います。

社会的な立場が高い・強い者が弱い者をいじめるのはよくあること。

だけど、社会的弱者だからと言って、家庭内で弱者とは限らない。

多問題家族のリスクは、より弱い立場の家族への負荷や虐待へとつながっていくのです。

そして、これは世代間で連鎖します。

どこかで断ち切らないと、延々と続くのです。

結婚しない、子供を持たない選択をする人がいるのは、無意識のサバイブもあるのかも。

◆多問題家族の中にいる人へ

一朝一夕では解決ができないのがこの問題の根が深いところです。

「貧困」「ヤングケアラー」「カルト2世」のトリプル多問題家庭で育った天馬。

どうやってサバイブしたか?

最終的なゴールは、親(兄弟)を捨て、忘れることでした。

もちろん、簡単ではなかったです。

いろんな事がありました。

フラッシュバックで辛くなる時は「高校2年生で家出したあの日、天馬の家族は事故で亡くなった。亡くなってしまったのだから仕方ない」と思うようにしました。

時が過ぎ、天馬を抑圧し続けた両親はすでに亡くなりました。

姉二人とは一切連絡を取ってません。

両親の命日とやらも覚えてません。

でも、生きている。

今、多問題家族の中で生きづらさを抱えている人。

どうしたらいいのか困っている人。

天馬のように、全て忘れ去るのは最終手段。

まずは、自分の困りごとを一人で抱え込まないために、SOSを発信し続けませんか。

それと、天馬の好きな呪文です。

「生きてるだけで、まるもうけ。」

案外、効きますよ。

お試しあれ。

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