我かく戦えり・・・保育園編①

ナチュラルボーン多問題!

3歳から貧困・カルト2世・ヤングケアラー、多問題サバイバーの天馬です。

まるっとカルトにはまった天馬家。

天馬のロード・オブ・ザ・多問題は始まったばかり・・・?

◆オイラ、保育園を退園

さてさて、まんまとカルトに取り込まれた母上。

3歳児だったオイラを保育園から退園させます。

保育園といえば「保育園落ちた、日本〇ね」がトレンドに入ったのは、いつだったか・・・     今の保活はどうなんだろう?                                 上の子の時は第13希望ぐらいの園にひっかかりましたが、両親フルタイムでも落ちる激戦区。     あれから20年近くたちますが、現状はいかに?

もとい。

高卒、家事手伝いを経て父上と結婚。                                              翌年には長姉を産んで。                                        昭和の女性だった我が母上は、基本専業主婦。                                   正社員で働いたことがなく、ちょいちょいパートをしていたと聞いています。

昭和40年代の保育園事情はわかりませんが、天馬は幼稚園ではなく保育園でした。            それは、既に天馬家が貧困家庭になっていたからかな?

余談ですが、末っ子の天馬は幼いころの写真が殆どありません。

幼稚園時代だけで3冊もアルバムがある長女に比べて、末の子は枚数が減るとは言いますが、それでも成人までにアルバムが半分しか埋まらないというのは寂しいものでした。

数少ないない写真のうち、数少ない保育園時代の写真をみると昭和の香りはぷんぷんしますが、どの子もあまり変わりなく天馬家だけ貧乏という感じではないのが救いですが…

この頃、父上はタクシー運転手をしていたと聞いています。                     ※保育園の遠足で若干ハゲつつある頭をゆる~いパンチパーマにした父上が、紙芝居を読んでいる写真がありました。                                                               たまたま非番だったので同行したと。

そんな時期に、保育園辞めるなんて。

宝くじにでも当たったいな?                                 いやいや、父ちゃんのタクシーの稼ぎだけで生活できるようになったんかいな?             よかった、よかった、母ちゃん働きにでんでもようなったんか?

ち〜が〜う〜!

天馬が保育園を辞めさせられた理由は、家計が安定したとか幼稚園へ転園とかではありません。

それは「保育園に行くとサタンに取り込まれてしまうから」。

わけわからん。

保育園やぞ~。                                       何に取り込まれるっちゅうねん。                                    いやー、あんさんがカルトに取り込まれてますがな!

と、今のオイラならつっこみますが、そこは3歳児。

大人が決めることに異議ははさめないよね~、多分。

当然のごとく拒否権は無く、気がついたら1日中家で母上と聖書のお勉強。

もしくは、布教活動に連れていかれる日々。

天馬にとっての保育園は、写真を見て「ああ、この先生好きだったなあ」ぐらいの思い出。

だけど「保育園にはもう行かないの」と言われた朝の記憶はあります。                      

台所に立つ母上と、腰高窓から見える外には雨が降っていた・・・とね。

朝なのに暗い背景なのは、本当に雨だったのかどうか・・・。

駄々をこねることなく、母上とのカルトな日々を受け入れた「記憶」なのかもしれません。

こうして天馬のカルト2世人生が幕を開けたのでした。

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