昭和のヤングケアラー②

多問題家族サバイバー天馬のヤングケアラー時代。

父上の起業失敗・入院による貧乏、母上の体調不良・難病認定。                   否応なしにケアラー道へ引きずり込まれたヤングケアラー三姉妹。

でもさ、昭和ってさ、「父親が外で働き」「母親が家事と子育てを丸っと担う」という『完全分業制』が色濃い時代でさ。

その母親が家事と育児ができなくなったら、担うのは稼ぎ頭の「父親」ではなく「子供達」という流れになるよね~。

特に女子・・・。

と、初手から脱線します。

そもそも「完全分業制」は日本古来の価値観ではないらしい。

一次産業に従事する人が多かった時代は、「職住接近」が当たり前で男女が一緒に働き子供を育ててたらしいじゃん。

だけど、近代化や都市化に伴い「男は仕事」「女は家事育児」と分業する流れになり。

そのまま、戦後の高度経済成長期あたりで確定した価値観かと。

先日までCSで「ダブルキッチン」というドラマを再放送していました。                  山口智子とプリプリの主題歌を懐かしく思い、つい録画して観てたんだけど…

1993年制作のドラマで、ゴリゴリの「完全分業制家庭」の親世代と「妻もフルタイムバリバリ正社員・共働き」の子世代が二世帯住宅で暮らし始めて・・・という内容。

野際陽子扮する姑は「専業主婦」。                                 対する山口智子扮する嫁は正社員でバリバリ働く「兼業主婦」。

女は家庭を守ってなんぼ。                                   女だてらに残業して、夫に出来合いのおかずを食べさせるとは!                             小さい子供を保育園に預けるのは可哀想。                                     跡取り長男の嫁は、とにもかくにも婚家を立てろ、尽くせ。

こんな価値観が横行?してて、事ある毎に嫁と姑がバトルする。

でも、大体は嫁さんが折れる。

鼓を打つ野際陽子。                                                 姑に押し付けられた玉暖簾をバラバラと壊す山口智子。

ちょうど三女役の坂井真紀と同世代のおいら、当時は笑ってみてたと思う。                              その後、自分も長男と結婚し最初の何年かは「良い嫁キャンペーン」してたなぁ。                            まあ、とっくの昔にキャンペーン終了してるけど(笑)

最終的に、高嶋政伸演じる長男が海外転勤となり、妻が仕事を辞めて帯同することに。

そこに逃げたか、とちょっとウンザリ。                                          結末を覚えてなかったのは、そのせいか。

でもね、これって30年以上前のドラマだよ。

令和7年の今はどうだろう?

「失われた30年」と言われるほどの不景気で現役世代は共働きがほぼマスト。                           それなのに、未だに「ワンオペ育児」なんて言葉が人の口端にのぼる。                              父親が保育園の送迎していると「イクメン」なんてほめられちゃったりして(笑)

家事育児だけでなく、冠婚葬祭・近所づきあい・義実家関係での扱い・・・主体的にかかわっている男性どれだけいる?                                                             あんまりにも変わってないじゃん・・・と。

もとい、話を戻します。

幸か不幸か、天馬家は3姉妹。                                               これ、男子がいたらどうなっていただろう?                                       やっぱり、男の子にも家事介護全部乗せしたんだろうか。

いやいや、また脱線しそうなので別の機会にしませう。

家族の食事作りは長姉。                                                掃除洗濯は次姉。                                                     天馬は、母上の介助と姉たちの補助。

こんな役割分担で日々が過ぎていきました。

ここからがヤングケアラー番外編。

家事や介護より嫌だったこと

病高じてからの母上は・・・

関節が痛み固まる病気だったからさ、泣いてたなあ。                              それから、怒ってた。

父上に。                                                     病気に。                                                          幼心に自分の家で起こっていることは、ちゃんと理解していた。

だから、嫌な顔せず手伝ったよ、オイラ。

まあ、家事スキルは、のちのち役に立ったからありがとう、と言っておこう。

それから、一生懸命介助しても散々怒られてたから、のちに介護職になって多少気難しい利用者さんに当たっても「母ちゃんより楽勝!」だった。                            これもありがとう、としておこう。

ヤングケアラーでよかったことなんて全くないけど、まあ人生経験の一つだと思おうと。

でもでも、一番嫌で辛かったのは「母上のメンタル」傾聴。

保育園を辞めさせられた天馬は、昼間は母上と二人きり。                            カルトが「この世と交わってはいけません」と言っているからと、近所の子供が遊んでる午後の公園には行けない。                                                       それなら、午前中だけでも外で遊びたいが、母上の不調で出られない。                           体調が良ければ「伝道」という名の布教活動に連れていかれる。

結局、家事の手伝いやら聖書のお勉強のあと、残った時間は読書するぐらいしか楽しみがない。    卵が先か鶏が先かはわからんが、3歳からのカルト英才教育(笑)で文字は読めたので読書するのに不便はない。

のちのち母上に「活字中毒」と揶揄されるようになるが、そりゃそうだよね、そんな環境なら。

母上の体調は午後から夕方にかけて上がっていく。                               気分もあがるらしい。                                               未就学の子供相手に喋る喋る。

もともと、よく喋る人ではあった。                                               カルトにハマるまでは近所のおばちゃんたちとも交流があったようだ。                            パート先の運動部にも入っていたこともあったらしい。

一応上場企業勤務の夫と、出来がよく見栄えのよい長女、自分に似て人付き合いがよく友達の多い次女、パート先でも楽しく活躍している私。

そんな自分の世界が壊れたと感じていたのだろう。

農家に生まれ育ち母親(天馬の祖母ね)が苦労するのを見てきた。                  だから、「農家なんて嫌」「絶対サラリーマンの妻になる」と決めて。                           初恋を成就させて父上の就職と同時に結婚した。                                      頼る親戚もないまま上京。                                            四畳半一間から、憧れの「団地生活」ができるまで頑張ったのに。

夫が会社を辞めなければ。                                            反対したのに起業して、失敗して、飲んだくれて入院して。                               あっという間に貧乏まっしぐら。                                           心労が高じて、私はこんな病気になってしまった。

その恨みつらみを消化中(昇華ではないのよ・・・残念)だったんだろうね。

でもさ、それを毎日毎日幼い天馬に愚痴るのはどうなんでしょうかね、母上。

いやさ、話し始めは楽しい話が多いの。                                       父上とのなれそめとかさ、近所のいじめっ子に蛇の抜け殻投げて撃退した話とか。

だけど、段々話が進むにつれ「パパが会社を~」が始まり。                                 最後は「こんな病気になっちゃって、痛い。辛い。」と。                               いや~、早く姉ちゃん達帰ってこないかな~!と祈る毎日でしたよ。

小学生、中学生になっても状況は変わらず。                                    さすがに辛くて、面倒で。                                         やんわりと「その話、この前聞いたよ」と押し返すが、母上聞いちゃいねえ。                                                                                                

ヤングケアラーのことを調べている時に、「誰のことをケアしているの?」という項目で「祖父・祖母」「父・母」の「感情面のサポート」をしているという返答がありました。

当時の天馬は、まさにコレ。                                            ひたすら傾聴。                                                                                                                                   否定せず、適宜「大変だったね」とか「それはお父さんが悪いよね」とか。                         できるだけ、母上を怒らせない、気分良くなってもらってこの地獄から早く解放されたい。       その一心で聴いていました。

「聞く」じゃだめなの、「聴いて」あげるフリしないと(笑)

毎日同じ話してよく飽きないモンだと思いながら。                       そんな気持ちがバレないように、ちゃんと聴いてるフリをする。                  だってさ、ちょっと他のこと考えていると「聞いてるの?」と怒られるんだもん。

まあ、後々「相談業務」に従事することになるから、そのためのスキルを培ったと思うようにしているけどね。

ホント、地獄の時間でした。

アンケートで「感情面のサポート」という項目を見た時に、今も同じように親の感情をぶつけられている子供がいるのかな、辛いだろうなあ、と。

とはいえ、天馬はカルト脱出と同時に家出をしたので卒業できました。

だけど、姉上二人は・・・

姉上たちのその後

姉上たちは、大人になっても同じ宗教に所属し、近居して交代でケアラーを続けておりました。

同じ宗教関係者としか結婚できないのはカルトの常道。                               義理兄二人とも、もちろんエホバの証人です。

カルト上「神権家族(一家まるっと信者の呼称)」だった天馬家。                              特に、長姉は容姿端麗、「長老(カルト内の階級な)」の父親と難病の母親を支えるけなげな乙女。 よって、教区内では評判の「姉妹(これまたカルト内の階級な)」でござんした。

エホ証内では婚約するまで男女2人で出歩くことは禁忌。                                結婚前提のお付き合いを申し込んで合意があればお付き合い開始。                                    長姉上、容姿端麗なため目立っておりまして教区内のみならず大会なんかで見染められ。          人を介して交際を申し込まれたのは数知れず。                                      

当時、仕事先で出会った「兄弟」と知り合い恋に落ちていた姉上は、そんなことおくびにも出さず「布教活動と親の世話で精一杯ですう」と片端から断っていたがな。

そんな姉上を射止めたのは10年間断られても懲りずに交際申し込みをしてきた義理兄1。

ずっと義理兄1のことを「タイプじゃない」と振り続けていた姉上も、元カレとのすったもんだの破局ののち、親の介護と経済的困窮にも疲れていた三十路前に落ちました。

結婚しても近居して、1日毎に実家に通う日々。                                    いやー、天馬脱帽っす。

で、もう1人のヤングケアラー次姉は、といえば。

次姉は、容姿はコメディー系だが陽気なキャラの勝利で「日陰の虫」系の男性信者さんたちがいつも周囲を取り囲んでました。                                          それなりにモテていたと思うのですが、なんせ「日陰の虫」軍団。                               正式に申し込んで断られたら気まずいのはエホ証内も同様で。                                正面切って申し込まれることはなく。                                                 

ホントは、学生時代からのボーイフレンド(未信者)と恋に落ちてたけど、彼はエホ証信者にはならないと断られ泣く泣く諦めたらしい。                                              最終的には「日陰の虫」系の中から一番気が合う義理兄2を選び、こちらも30歳前に結婚。

義理兄2人とも、我が家の状況を知っていたので「結婚しても実家に通う」ことを認めておりました。

だってさ、母上の介護は年々重くなるし。                                     父上は組織上上司。                                                   ダメなんて言えないよね~。

というわけで、姉上たちのケアラー道は続きます。

結婚しても、1日おきに実家に通う二人。

いや、そんなに必要?

夫婦二人分だけ稼げば良くなっているんだから、父上が家事やればいいじゃん。                                                               年寄り二人の生活で、そんなに掃除や洗濯があるわけでもなし。                              食事だって、量も種類もそんなにいらねーし。                                      母上の介護は「全介助」レベルではなかったし。

今振り返っても、なぜ姉上たちが毎日通わなならんかったのだろう。

謎だ。

唯一、次姉が嫁に行く直前に父上が料理教室に通ったことあったなあ。                            「男の料理教室」みたいなのに3か月行ったけど、味噌汁作れるようになっただけでした。                    素養がなかった、と母上が陰口を叩いてたけど。(相変わらずだね・・・)

天馬が思うには、「必死さ」がなかったのよ。                                     両親二人とも。                                                    子供二人を嫁にやって、夫婦二人で生きていくという覚悟もなく。

自分が親になってしみじみ思う。

子供にはできるだけ幸せな人生を送ってもらいたい。                                   ちゃんと「飯が食える大人」になるまでは、親の責任で育てる。                                 自分の生活を大切にできる大人になって、良い伴侶と子供に恵まれたら最高。

だけど、うちの親は「自分たちがよければいい」人たちだったんだな、と。

高2で家出した後は、全く実家に寄り付かなかった天馬。                                     父上が癌に移行したと宣告されたと知らせを受け、さすがに実家に立ち寄った。

その頃すでに介護職になっていた天馬。                                       思ったよりサバサバしている父上。                                                   

「よそんちのお年寄りの介護してないで、父さんの面倒みてよ~」                          「うーん、プロは高いよ~(笑)」                             

なーんて親子の会話してたら、奥の部屋から怒声が・・・

母上「育ててやった養育費払え!」

うーん、そうきたか。                                                  天馬が子供のころ、朝ごはんは毎日「パンの耳」でした。                                             小中学生時代は、毎年4月に「就学援助費申請」の紙をクラス全員の前で渡されて貧乏バレバレ。                      高校受験の時は参考書一つ買ってもらえず、自分でチラシ配りのバイトして。                        あまつさえ、高2で家出してんだからコスパかかってねえだろうよ。                                       さすがに大人になっていたので「産んでくれって頼んでねえし!」と言い返すのは我慢したけど。

一事が万事、そういう人たちでした。

そんな彼らだから、介護保険制度が始まりサービスが受けられるようになっても、姉たちを手放すことはしませんでした。                                                   父上が入退院を繰り返すようになり、実家で母の介護、父上の病院での身の回りの世話で姉上二人はてんてこ舞い。

さすがに見かねた天馬。                                                       介護保険のヘルパーサービスや、週に何回かの配食サービスを使っては?と母上に言ったことがあります。

しかし、返ってきた答えは「育ててやったんだから、子供は親の面倒をみて当然」でした。

おいおーい!                                                   確かに姉上二人は実家がリッチだった時代を味わっている。                                          でも、そのあとどれだけ自分の人生を犠牲にして尽くしてきたんだよ?                            母上の性格を知るオイラ、さすがにこれは言わなかったけどさ。                                                                                

ここで退却しときゃいいのに、ついつい母上に言ってもうた。

でもさ、三姉妹みんな巣立って夫婦二人だよね。                                 父上の仕事も安定し、貯金もできるようになったじゃん。                                        ちょっとお高めの食材や衣類も通販で買えるまでになったじゃん。

長姉は、旦那自営業で不安定だし、子供もいるし。                                     次姉は、1Kの狭いアパートで暮らしてるぜ、と。

でも、やっぱり答えはNO。                                              他人に介護されたくないと。                                        内弁慶な母上、そっちが本音だろうね。

そうね、そうよ、みんなそう言うよ。                                           でも、家族で介護するのが限界だから介護保険制度が始まったわけだし。                            ヘルパーさんがご飯作ったり、掃除や洗濯をしてくれるよ。                                                        ヘルパーさんが嫌なら、週に何回かお弁当を頼んだら?                               

当時のおいらの知識を総動員してご意見してみたが・・・やっぱり答えはNO。

あまりの頑なさに、ついに言ってもうた。

「お母さんたちの介護をするために子供産んだわけじゃないでしょ」                     「外のサービス使って、お姉ちゃん達を解放してあげて。」

もちろん、母上激おこ。                                     父上にも伝わり、W激おこ。

さらに、びっくり。

当の姉上たちに怒られた怒られた。

「余計なお世話よ!あんた何にもしてこなかったでしょ!」                                「私たちは育ててもらった恩があるから、お世話するのは当然なのよ!」                         「この恩知らず!」

普段あまり仲良くないくせに、ここはユニゾン。                                      二人とも同じこと言って怒ってた。

恩知らず・・・ですと!                                              恩なんて、受けてねえから知らねえよ。                                        こちとらモノゴコロついたその日から、服でも文房具でも、何でも「おさがり」。                                          勝手にカルトに引きずり込まれ、高2から一人で孤軍奮闘して生きてきたんだ。                          

病気、失業、人生のリスクも考えず3人もこさえたのは、両親だろ。                               親が子供を育てるのは当然のこと。                                               親孝行にも限度ってもんがあるだろうよ。                                      

姉上たちの現状を見かねてのことだったのに・・・。

ええ、ええ、余計なお世話でしたか、すんません。

その時、新たに決意したね。                                                 「私の家族は、高2の時に飛行機事故で死んじゃった」と。                                          天馬には実家はない!と。

その後、また疎遠に。                                        しかし、いよいよ「父上死んでまう~」となり、何事もなかったかのように病院にお呼び出し。                       その日は父上の親族も呼んで(そのせいで呼ばれたか・・・)病室は大賑わい。

おや?次姉がいない。                                               「なんか、この頃あのこ(次姉)体調悪いのよ」と母上。

ふーん、そうかい。不定愁訴は次姉の専売特許。                                         でも、人が集まることろ大好き次姉にしては珍しいなと思ったんだけど。

そんなある日、次姉から電話が。                                         「天馬に謝らなくちゃ」と。

ご意見投下した直後は激おこだった次姉。                                 でも、内心実家通いに疲れていた。                                          天馬の言う事ももっともかもと思い、家事援助の介護サービスを少し入れてもらえないかと両親に打診したそうな。

そしたら、わがご両親様、さすがです。                                        「ヘルパー頼むとお金かかる。子供はタダだから」とドヤ顔で言われたそうな。

これで「?」と思わなかったら、馬鹿かドMだよ。

次姉「あたし、『共依存』ってヤツかしら…」「『毒親』の本読んだら、当てはまることが多くて」

ええ、ええ、そうです。                                              貴方は立派な共依存ですよ。                                                       ハイ・・・

でも、もう心を通わす気持ちは湧いてこなかった。                                    だって、天馬の家族は高2の冬に飛行機事故で全員亡くなったから。                               「今話しているこの女性は、利用者さんの家族だ」と思おうと。

ひとしきり彼女の愚痴を聞いて、「身体に気をつけてね」とありきたりな言葉をかけて電話を切りました。

まあ、中年になって今までの価値観がグラつくことはままある。                                         それを「よい機会」と考えて見直したりアップデートするのはエネルギーもいるし覚悟も必要。                  それより、グチグチくよくよしながら現状維持する方が楽だからね。

「子供はタダ」なんて言われても通い続ける。                                        自尊心と自己肯定感ないんかい姉ちゃんたちは?と。

ただ、ヤングケアラーは幼いころから「自分のことより、家族をケアするのが当たり前」な環境。

「子供が親の面倒を見るのは当たり前」という価値観の中で育てられて、普通の親子関係を知らない。長じてケアラーのままだったり、子育ても重なるダブルケアラーになって「なんかしんどい」人生を生きるしかなかったりする。  

結局、姉二人は父が逝き母が逝くまで実家に通い続けました。                                            彼女たち自身が選んだのだけど。                                                 共依存に苦しみ、身体を壊し、両親が逝った後に何が残った?                    

でもね、結構多いのよ、こういうケース。                                                           共依存に苦しむ家族は、介護もうまくいかない、いや介護が必要となった時にパンドラの箱が開く。

「真っ当な親なら、自分の世話で子供に負担をかけ続けることを善しとはしない。」                                                                                                                                             

昭和のヤングケアラー三姉妹、かく戦えり。

ヤングケアラーから脱出した、天馬のお話でした。

おまけの後日談

父上が癌になったからと実家に呼び出された時期。                        それは、家出から10年ぐらい経った頃でした。                                        さすがの両親も「この子が宗教に戻ることはないだろう」と悟ったんでしょうな。                    お互い、そこには触れず交流する機会が増えました。

社会人になって、自己覚知が進んでいたその頃の天馬。

母上と雑談中に「私(天馬)って、人前で話すの得意と思っていたんだけど、実は伝えたかったことが伝わってないんじゃないかと思う場面が多々あって・・」とポロっと話したのよ。

ADHDの天馬。話をしているうちに、どんどん脱線していく傾向があります。                                                  片づけられないという特徴と共に、自分の弱点が判り始めた頃でした。

そしたら、母上なんて言ったと思う?

「そうそう、あんたは昔っから話がまどろっこしくて判りにくい子だったよ。」と。

お?おう。                                                    昔からそうだったんだ・・・。

「『あのね、おかあさん』から始まって、その日起こったことをいうんだろうと思って聞いていると『そうなったのはね、昨日ね、カクカクシカジカ~』と前置きに戻ったり、説明が長いのよ。正直あんたの話を聞くのは辛かったわ~」ですと!

おーい!                                                         ばばあ!                                                           何言ってんねん!                                                   さんざん人に愚痴愚痴聞かせといて~!!!                                      まどろっこしいのと話が長いのは、オマエ譲りじゃー!!!!!

確かに、このブログもグダグダと長いし、余談多すぎ(笑)

おかげさまで、その後人前で話すのがすっかり苦手になりました。

親の言葉って重いんですね。

まあ、ビジネス本やハウツー本を読み漁り、5H1Wを心がけるとか結論から先に言う等など、仕事上のやり取りは改善されたので善しとするか・・・

昔は、ひとくさり愚痴を吐いたあと「あんたにこんな話聞かせてごめんね。あんたは本当に『バルナバ(※)の子』だよ」と言ってたくせに~!                                       ※新約聖書の登場人物で、「慰めの子」という意味があるそうな。

遺伝と家庭環境恐るべし。

人は育てられたように育ち、育てる。                                         実は、天馬の子供も天馬と同じような特徴が・・・

でも、母上の轍を踏まないよう優しく(ウソ)その場で「主語はどこだ~!」「いつの話した~!」と一緒に整理するようにしてる。

隔世遺伝だと思いたいけど、多分タダの遺伝だね(笑)

三つ子の魂、百までも。

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