貧困ということ②

ナチュラルボーン多問題!

3歳から貧困・カルト2世・ヤングケアラー、多問題サバイバーの天馬です。

まだまだ続く、令和の米騒動。                                           今日も、天馬のお給料で買える米を探してキョロキョロしてます。

♬だけども、問題は今日の飯、米がない                                           行かなくちゃ~、米を買いに行かなくちゃ~、君の米を買わなくちゃ~、米がない・・・                     (陽水様、ファンの皆様、ごめんなさい)              

さてさて、「職場での『備蓄米、困窮家庭を優先に!』にモヤモヤ」続きます。

貧困家庭に育った子供の気持ち・・・天馬Ver

「貧困家庭に備蓄米を優先的に」という優しい同僚たちの意見にモヤモヤする。                      なんでか。                                                        

天馬は「貧困」「カルト」「ヤングケアラー」の3重苦な子供時代を過ごした当事者だから。

まずおさらい。

天馬家の昭和40年代後半から昭和50年代・・・

まず、父上の起業失敗。                                                →母上・姉上エホ証入信、相次ぎ父上も。一家丸ごとエホ証信者に                    →父上は宗教活動優先のため失職・転職を繰返す。                                      →経済的に困窮。同時並行で母上の病が悪化。                                   →子供たちは家事&介護要員に。                                →でもでも「我が家には信仰があるから」と頑張る母上様                              「武士は食わねど・・・」みたいなこと言ってたなあ。                               「何にだよ?」と。                                                    意味違う気がするけど、母上様やぁい!

で、かなりの貧乏でした。

まず、朝ごはん。                                                   当時、食パンは1斤80円ぐらいか。                                         でも、天馬家はそれも買えない。                                            どうしたか。                                                   

馴染のパン屋さんから、3斤分の袋いっぱいのパンの耳を30円で買って食べてたのさ。                   1日1斤平均とすると、80円×7日だと560円。                                              パンの耳だと、10円×7日で70円。                                              あらま、490円もお安いのね~、って。

パンの耳も、ラスクにしたりするとおいしいよね。                                  でもさ、主食だし、そもそも砂糖とバターも高くて気軽に買えない貧乏だからパンの耳なわけで。

馴染のパン屋さんだから、事情を分かってるのか3斤食パンの両脇を多く入れてくれるの。                         でも、昔だから固くなるのが早いわけですよ、日持ちもしないしね。                              天馬家では、カビが生えないように冷蔵庫で保存してました。                                      まあ、そうなるとザブングルのギャグ並みに「カッチカチやで~!」と。                                       

そうすると、どうするか?

朝からデカい蒸し器で蒸すわけですよ。                             上の階層は、まだまし。                                               ちょっと出遅れて底に近いヤツなんて食べれたもんじゃない。                              べちゃべちゃになったパンの耳、布巾の香り付き。                                      それが朝ごはんでした。

今だったらパンがゆにでも・・・と思うけど、貧乏で牛乳もそんなに買えないの。                     中学生の夏、学校から帰ってきて喉カラカラでコップ1杯失敬したのさ。                             母上見逃さないよね。                                                「予定してあるんだから勝手に飲むんじゃない!」って怒鳴られた。

だから、給食が唯一のまともなご飯という子供の気持ちは痛いほどわかる気がする。

衣類や学用品は、ほぼお姉さま達からの「おさがり」のみ。                                    同性だったのが幸か不幸か。                                                 5歳づつ年が離れているから、10歳になっても15歳になっても着られる。                       なんてお得なの!、と喜んでいるのは母上だけ。                                                    

今、思い出した。                                             

パンの耳食べてるくせに「エホ証の大会に行くため」に正装チックな服をと張り切った母上。                3姉妹お揃いのワンピースをご購入。                                                     当時、長姉高校1年生、次姉小学校高学年、天馬小学校入学ホヤホヤ。                                         長姉分サイズアウト→次姉におさがり・サイズアウト→天馬へおさがり。                                      次姉分サイズアウト→天馬へおさがり                                              さて、問題です。                                                  天馬は何年このワンピースでエホ証巡回大会に出たでしょう?(笑)

家庭内おさがりも気が重かったけど、他にもこんな思い出が・・・。                                                                                                                

まあ、基本的にパンツと肌着以外はお下がりがデフォ。                                      次姉の分はまだしも、長姉とは10歳違うんやで~!                                        小学校高学年から高校2年生まで、思春期真っ盛りの時代を流行り遅れの洋服で過ごしましたわ。                 カルト脱出宣言をして、堂々とアルバイト出来るよになって初めて自分が着たい服を買えた。                  トラウマなのか、今でもリサイクル品は買おうと思えない。

裕福なエホ証信者さん宅の「おさがり着せ替え大会」に度々連行されてた。                        天馬より2・3歳上の女子がいるご家庭でさ。                                    サイズアウトの時期には、母上と一緒に呼び出されるのさ。                            

そこのお姉ちゃんの趣味が、フリフリ系でねえ・・・。                                 男子と取っ組み合いの喧嘩をするような天馬とは好みが全く違う。                         でも、宗教活動の時に母上が望むような「きちんとした服」なもんだからさ。             お金持ちだから枚数もたくさんあって。           

うんざりするほど何度も着替えさせられて、ようやく帰れるとなったのさ。

解放される嬉しさのあまり「こんなの着たかったんです。ありがとうございます」とご挨拶。                            お世辞モリモリだけどさ、当然の礼儀だよね・・・。 

だけど、帰宅後母上に死ぬほどなじられた。                                   「プライドないのか!」と。

なんじゃそりゃ。

「普段洋服買ってあげてないからって、あんなヘコヘコして!」だとさ。                       じゃあ、仏頂面でそっぽ向いてりゃよかったんかい!                                連れてったのは、あんさんやないかい!                                         わしかて、こんなフリフリ着たないわい!

なんて抗議できるわけもなく…

プライドと差別と・・・

そして、一番屈辱的かつ自分の差別的な心を自覚した切ない思い出。

天馬の住む地域は公営住宅が多く、シングル家庭も多かった。                          それでも同級生が「ゲームウォッチ買ってもらった」「ディズニーランドに行ってきた」等々楽しそうに話せる程度ではあった。

そんな中でも「あいつんち、父ちゃんいねえんだって」とか「母ちゃん障害者なんだって」なんて陰口を叩かれている大変そうな家庭の子がクラスに2・3人はいた。

毎年4月に「就学援助費申請書」なるものが該当する家庭の児童に配られる。                     該当するのは「生活保護家庭」や「それに準ずる低収入家庭」。                                         昭和の教師は遠慮がない。                                                      学活の皆がいるところで「就学援助費の紙配るよ~、呼ばれたら取りに出てこい」と。              で、名前を呼ばれるのは、その大変そうな貧困家庭の子たちと天馬。

正直、これはつらかった。                                                                            

皆の前で「天馬んちは貧乏」と烙印を押されているように感じた。                                加えて、大変そうな家庭の子と一緒に呼ばれるのでプライドを傷つけられるような感覚になり。       

羞恥心と同時に自分の中の差別心にも気が付いて。                                        顔が赤くなるのを止められなかった。

忘れ上手の天馬でも、さすがに諸々振り返ると切ないわ~。

まだまだ貧乏ネタけど、きりがないのでこの辺で。

よくも悪くも、貧困家庭で育ったので節約しようと思えば、今でもそれなりにできる。                        でも、自分の苦しかった子供時代を、自分の子供には味わわせたくないなぁ。                                              だから、一生懸命働き続けているけれど。                                       幸いなことに大病したり、カルトにハマったりしてないから何とか続いているだけで。

世間には、いろんな事情でどう頑張ってもそれができない人もいる。                     子供に食べさせるために自分は1食で我慢するシングルマザー。                              肉や野菜が高くて、主食の炭水化物しか食べられなくて逆に太ってしまう子供。                    それは、遠いニュースの向こうではなく、現実。                                      一寸先は闇、いつ飲み込まれるかは誰も保障できない社会になっているような気がしてならない。                             

例えば、同じ教室で学ぶ子供達の中で、ブランド米が食べられる子と備蓄米すら食べられない子がいる。

「フードバンク」や「フードパントリー」、「子ども食堂」等々支援の手が差し伸べられるのもありがたいんだよ。                                                 今回の「備蓄米を貧困家庭へ優先的に配る」というお気持ちは非常にありがたい。

ありがたいんだけどさ・・・

「動物の餌」だの「家畜用」なんて言われている備蓄米だぜ。                             発売当初は、最初はみんな列をなして買ってたけどさ・・・                                          今じゃ、山積みになって売れ残っている。                                     それって、まだ「選択の余地」がある人が多いってこと?                                                     ほら、こうやって余るんだから貧困家庭に配ればよかったんだよ。                           贅沢言うな!困ってるんだろ?ありがたく受け取れってか?           

多問題サバイバーの天馬がこじらせてるだけなんだろうけど・・・

いつまで「恵んでもらう側」でいなきゃいけないんだろうかね?

一生懸命働いて、それに見合ったお給料をもらって。                                    おいしいお米を炊いて、おかずもあって、家族で温かい食卓を囲む。

それが「当たり前」ではない世の中になっていないかい?                              

「自助」できなくなったら終わりなのか?                                                 「共助」にも限界がある。                                                            

じゃあ、自分に何ができるのだろう。

→貧困ということ③へ続く                                   

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