昭和のヤングケアラー①

某テレビ局の不祥事がらみでACジャパンの広告を見る機会が増えました。                     半分が子供がらみということで、受験期の親御さんから「望まない受験をさせているように見える」等の苦情が上がっているとかないとか。                                最初の頃、ヤングケアラーのCMをちらっと見たのだが、他に課題が多すぎて・・・

子供の未来は、社会の未来だべよ・・・。                                   こんなに子供の課題があるのに、シルバー政策ばかり推進されてさ・・・。                             やべえな、日本。                                                 と、思うのは私だけ?

さてさて、天馬がヤングケアラーだったのは40年以上前の「昭和」。                   その頃のお話です。                                                 

ヤングケアラーになった訳

我が家がカルトにハマる前から、母上の具合は悪くなりつつありました。

最初は歯の痛み。                                      だけど、虫歯などは見当たらず原因がわからないまま顎に痛みが移ります。

顎の痛みが続いたまま、次は首が動かせなくなりました。

父上の起業失敗と入院による生活苦、不信感等などストレスMAXだったのでしょうなぁ。

膠原病の一種と診断が出たのは、天馬が小学生になってからだったと記憶しています。

ヤングケアラー、最初の記憶は病院に付き添うことだったかな。

あちこち行ったよー!                                    原因が判るまで、いや判ってからも「西へ東へ」名医と聞いたら尋ね歩き・・・。

通院するために外出しても、痛みでゆっくり歩くため人並みに乗れず。              万一、誰かとぶつかったりしたら激痛が走るからと、陣笠よろしく「母上様のお通りじゃい!」と人払いするお役目。

まあ、そのころにはカルトにハマり天馬の保育園を辞めさせちゃったから、連れ歩くしか無かったのかもしれませんが…

診断が出ても、まだまだ治療法が確立してなかったものだから、身体中の関節が痛み寝付くことが増えました。

家事もできなくなってきて。

当時中学生だった長姉が料理、小学生の次姉が洗濯・掃除、天馬は茶碗洗い。

その後、天馬が小学生になる頃には、母上の入浴介助と土曜日のお昼ご飯担当も増えました。

土曜日のお昼は毎回カレー。                                  確かに簡単だわな。                                      切って炒めて混ぜるだけ~♪           

そんなCMあったねぇ…

それでも末っ子だからこんなもんで済んだのかも。

その後の天馬家は、ほぼほぼ姉上2人で5人分の家事を担うようになります。           料理・洗濯・掃除と一口に言っても、けっこうな家事ボリュームでさぁね。

特に、長姉は朝晩の食事とお弁当まで。                            当時、彼女はまだ高校生になるかならないかなお年頃。

彼女こそ、ヤングケアラーだよね。

天馬の比ではない。

※唐突ですが、基本好き嫌いはない天馬。                        だけど、大人になってしばらくは「プチトマトとウィンナーとうずら豆」がキライでした。                                                    なぜなら中・高の弁当のおかずはこの3品だったから。                                          毎日毎日、お弁当の蓋を開けると、彩り良く3品が…                                                                         軽くトラウマでした。

でも、今これを書きながら猛反省中。                                                             姉上も、まだまだ若い身空で。一生懸命作ってくれたんだよね。ほんと、ゴメン。

ほいじゃ、もう一人の「親」である父上は何してた?

ただでさえ、起業失敗して転職太郎だったから、稼ぐので精一杯。                さらに、宗教活動まで。                                                             家事や子育てに関わってる姿は記憶に無いなぁ…

まあ、昭和の親父だからね。

当の母上は、調子がいい時はご飯作ったりしてたけど、大抵は「指揮官」。            家事が出来なくなって空いた時間は、「痛い」と泣くか愚痴るか、はたまた聖書の勉強三昧。

こうやって思い返すと、かなりバランスの悪い家庭環境だな。

「一億総中流ブーム」に乗っていたはずなのに、貧困に陥り、宗教にハマり、そこに母上の難病。

もう、一家まるっと天中殺かよっ!

というわけで、ヤングケアラー天馬三姉妹の出来上がり!なのでした。

ヤングケアラー天馬

さて、5歳ですでに夕飯の茶碗洗い当番を担う天馬。

他にも、洗濯物を畳んだり、玄関&階段掃除(団地の階段な)を毎日。                    単発の買物(買い忘れとか、特売の卵(笑)とか…)なんかをやってた記憶がある。

お店の人や同じ階段の大人に褒められて悦にいってた自分を殴ってやりてぇ!

「もはや戦後ではない」昭和後期だからね。                          ご近所もそんな家庭環境に気づかなかったのか、本当はヒソヒソされていたのか、確かめる術もない。

小学生になると、さらに分担が増える。

土曜日のランチカレーや入浴介助以外にも、順当(笑)に風呂やトイレの掃除も分担も。

ADHDな天馬は片付けが苦手。                                毎日毎日「片づけなさい!」と怒られてばかりだったけど、学校に通い、宿題もし、さらに聖書の勉強と集会(週3回も!うち2つは平日の夜だぜぇ)と、家事と介護。

まだ、小学校2年とか3年だぜ。

よくやってたな、と。                                    誰も褒めてくれないから、自分で褒めちゃう!

もちろん、小さい時から自分の身の回りのことは自分でできる方がいいとは思う。

だけど、自分が親になってみて子供を見てると、天馬の幼少期のヤングケアラー量はトレーニングレベルではないわな。

必須の家事だからねぇ。

やるしかねぇ、な訳で。

そうそう、通院介助は小学生まで。                              だって学校行かなきゃだもんねぇ…

でも、今思い返しても「子供思いの理由」だとは思えない自分がいる。

原因が確定するまで、色んな病院に一人で行くのが不安だった母上。                  難病が確定し、信頼できる専門医が見つかった。                         さらに、父上が歩合営業の仕事に就き時間の自由が利くようになり車で送迎できるようになった。

内弁慶なお人だったから、母上。                                 他の「お付き添い」ができて、天馬はお役御免になったのであろうかと。

通院介助が無くなったあとは、入浴介助。

小学生ぐらいまでは、何の疑問も持たずに介助してたんだ。一緒に入るついでだし。

でもさ、天馬も着実にデカくなってくる訳で。                         公営住宅の狭い風呂場で2人はキツくなり、洗髪洗体と湯上がりの着替えの手伝いだけを頼まれるようになった頃から、ちょっと面倒が勝つように。

いやさ、思春期になり一人で風呂に入れるようになったことが嬉しかったのよ。

それよりなにより、自由だ!

いつも家にいる母上。                                    「鍵っ子」の友達がマジで羨ましかった。

なぜかって?                                         学校の宿題はさておき、とにかく家にいると「聖書の勉強しろ~!」「家事手伝え~!」と指令が飛ぶ。                                              母上がお風呂に入っている時間は、唯一干渉されない自由時間。

なのに、お風呂場から聞こえる「天馬〜!天馬〜!」                      介助を求める母上の声。

「人非人」と言われてもいい!                                 ほっといてくれ~!!!

と、まあ非常に苦痛に感じるようになりまして。                        しばらく聞こえないふりしてサボタージュ。

そのうち、「てんまっ!てんまっっ!!」と怒声が聞こえるようになってから、渋々お風呂場へ。          もちろん、お風呂場に入ったところから「お説教」になりますわな。

「頼む方の気持ちになってみなさいよ!」                            ご説ごもっとも。

さーせん、こちらも思春期&反抗期なもんで…とは言えないので、ゴメンゴメンと謝りながら介助する訳ですよ。

のちのち、天馬は介護の仕事に就くんだから、人生は皮肉なものだ。               あ、「お金貰ったらプロ」だからきっちりやるよ~!

あと、思い出すのは「寝る前のカーラー巻」!

あのね、頭全部にカーラーで巻いて寝るの、母上。                         今のカーラーはしらんけど、母上ご愛用のカーラー、鬼硬いのよ。                 髪の量も半端ないし。                                     (どーでもいいけど、母上方はフサフサ系。叔父ちゃん達もミヨイクログロ)                首が痛い、関節が痛いのに、頭全部カーラー巻いて寝たら凝るだろーよ!                   今、気づいたわ!(笑)                                   何事も「振り返り」って大事だなぁ。

実家で最後まで携わった母上のケアは、この二つぐらいかな。

5歳からヤングケアラー道まっしぐらだった天馬ですが、思春期から「うち、おかしいんでね?」と思い始めます。

加えて、カルト&貧乏も疑問に思うようになり。

ちょうど、渡辺美里やら尾崎豊が流行り始めた時期ですわ。

『私らしい生き方』ってなんだ?と。

『誰にも縛られたくない』ってね。

小・中学生ではアパートが借りられない(当たり前だけど)、15歳までは働いちゃいけない(児童福祉法な)と聞かされた時のがっかり感を今でも覚えている。

わけわかんない宗教活動で学業や部活が自由にできないこと、母上の介護、貧乏、すべてが嫌だったわ~!

そして、これを払拭するには「家を出る」よりないと。

高校生になり、親に内緒でバイトして。                             「補習が~」「委員会が~」と言い訳をし帰宅を遅くするようになりました。

さて、問題です。

三姉妹ヤングケアラーのうち、一人がサボタージュするようになるとどうなるか。

ピンポーン!

そうですね、「愛しのお姉さま方」が、ヤングケアラーとして家事と介護を担うようになっていくのです。

姉たちのヤングケアラー道

天馬のお姉さま方と天馬は年が離れております。

10歳以上年上の長姉は、幼い天馬にとって「お姉ちゃん」というよりは「お母さん」に近い存在でした。

彼女は、見た目麗し(芸能事務所にスカウトされたことあり)。                  成績はトップクラス。                                     バレエや音楽教室の発表会ではいつもメイン。

蝶よ、花よ、〇〇地域の「百恵ちゃん」(あのころは山口百恵さんがスーパーアイドルだったので・・・)と呼ばれておりましたがな。

父上が起業に失敗しなければ、そのままお嬢様道を歩めたかもしれません。

でも、実際は?

習い事は辞めさせられ、家事や介護に追われる日々。                                                   唯一の救いは、宗教活動。                                        ただ、本当に信仰心があったかは判らない。

高校受験を控えた長姉は、県内トップクラスの高校に楽々合格できると言われていたのに、「布教活動に学歴はいらない」とランクを下げ家から近い学校を選びます。

だってさ、家事も介護も宗教活動もしないとアカンやないの、と。

相変わらず、5人家族の3食作りも高校生の彼女の肩にのしかかります。

これだけでも、大変だよね。

その頃から、姉上は少しづつ学校を休むようになりました。

朝、ご飯を作ったら布団へGO。                                  母上がなだめすかしてもスルー。                                   しぶしぶ3限目からとか、朝出かけたなあと思ってもお昼過ぎに帰ってきたり。

お留守番している天馬に母上が姉上の陰口をたたきます。

「あの子は、布教のためと言って学校のランクを下げたのに、思ったより成績が振るわなかった。だから、『体が弱くて学校を休みがちだけど割と成績いいよね』と言われる道を選んだ」と。

なんという悪意だ!                                     お前らが年若い長女に「家事介護全部乗せ」してるからやんか!

今ならそう抗議できたかもしれませんが、なんせ天馬も未就学児。                  ごめんね、お姉ちゃん。

とはいえ、半分は母上の陰口が当たらずとも遠からずか。                    留年もせず、ちゃんと卒業したしね。

でも、そんなモラトリアムな時代も高校卒業によって終了し。                     結局、長姉はヤングケアラーからケアラーに移行しました。

相変わらず家族の食事を3食作り、週3回のアルバイトに出かけ、残りは布教活動へ。

30歳前に結婚するまで、いや、結婚してからも近居でケアラーのままでした。

で、次姉。                                          この人が、また曲者で。

見た目はコメディー系。                                   その見た目通り、陽気で男女問わず友達がいて。                                 いつも人の輪の中心にいるキャラ。

でも、容姿端麗・頭脳明晰、〇〇の百恵ちゃんと呼ばれた姉と比べられることも多かったのでしょう。

長姉が父上に可愛がられるのと比例して、次姉は母上べったりで。

母上も、長姉が外で褒められるのは嬉しいが、父上をめぐりライバルちっくな気持ちが強かったのか、家庭内では「長姉サゲ、次姉アゲ」が激しかった。

だから、余計に次姉は母上にくっつき甘える。

今ならわかるよ。

お姉ちゃん(長姉)にかなわないので、家の中で母の手伝いを率先することでバランスを保ってたのかな。                                              長じて次姉と母上は「共依存」に陥り、それに気づいちまったもんだから・・・               知らない幸せってあるものね、お姉ちゃん。

それはさておき。

次姉は料理がクソマズだったので、主に掃除や洗濯を。

ただ、幼いころから母上にべったりで家事の手伝いはしていたのであまり苦にならない様子でした。

後々、長姉が独立(徒歩2分の近居!)と天馬の家出がほぼ同時期で、家事と介護の主担当になった頃から「あそこが痛い~」「ここが辛い~」と不定愁訴が出始めます。

彼女はもともとが陽キャで単純な性格。                            宗教活動やヤングケアラーであることに対して疑問に思うことが全くない人でした。

と、今も思っているんだけど。

あれだけ不定愁訴を訴え、母上のようにあちこちの病院を巡り、果てはオイラに借金してまで漢方医(もちろん、健康保険外)に通う姿をみると、深層心理では無理してたのかなぁ…と。

何だかんだ体の不調を訴えるものの、自分の置かれている環境に疑問を持つことなく、30歳前に嫁に行くまで実家におりましたよ。

そして、結婚してからも、やはり近居で長姉と1日交替で実家に通っておりました。

これは、両親が亡くなるまで続きました。                            その頃には、二人とも心身ともにボロボロになっており。                                これ以上両親に長生きされたら姉たちの方が先に逝ってたかも。

燃え尽き症候群というのはこのことか?と。                          「宗教があってよかったかもね」                                               「父ちゃん、母ちゃん、最後に子孝行したね」                                          

口には出さないけど、天馬の正直な感想はこんな感じ。

その後、色々あって10年以上音信不通。                                              生活保護扶養照会や死んだという連絡はないので、生きておられるのでしょうな。    

昭和のヤングケアラー2人は、両親が亡くなるまでケアラーでありつづけたのです。

→昭和のヤングケアラー②へつづきます。

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